マリカーでキラーとった感じ

 

年に一回くらいはておかないと、の気持ちで書いてる。

 

 

 

最後に更新してた2022年からわたしは

とんでもないスピードで生活の変化があった。

 

 

 

まず、プチ夢と言っていた猫、本当に家族にした。ラグドールの男の子。やんちゃでおバカで甘えん坊で可愛い。北海道で運命の出会いをして2週間後にはお迎えに行った。一目惚れに時間も距離もお金も関係ない、お迎えして本当に良かった

 

 

加えて、同棲が始まって、恋人の連れ猫にも日々癒しを提供してもらってる。サイベリアンの女の子。頭が良くて空気が読めて賢い。飴と鞭の割合が完璧すぎてメロメロにさせてもらっている。。

 

 

突然、娘と息子ができた感じ。

 

 

人と一緒に暮らす生活も、とても楽しい。

美味しいご飯も作ってもらえて、サイコー!となっている

 

 

 

こういう平穏な生活、

ソラニン みたいにならないように大切にしていきたい。

 

 

今電車でこれを書いていますが、隣で疲れ果てたJKに肩貸してます。

みんなおつかれな火曜日。

週末まで頑張ろうね

 

 

 

今日はおしまい

 

 

2月は逃げちゃうらしい。

1月は行ってしまうし

2月は逃げしまうし

3月は去ってしまうらしい。

 

 

 

中学校の頃の野球部の先生がうちのクラスで言ってた言葉なんだけど、毎年この時期に思い出す。

 

 

松岡修造みたいな理科の先生で、

当時はスーパー引っ込み事案だったのでマジで怖かったです。

 

どうでもいいけど理科の先生の文字ってすごく丸文字だよね。

 

 

 

 

 

今日お昼休みにこの不定期すぎる日記なのかもわからない日記を見返してみたんだけど

2018年から書いてることに驚いた。

それにしても更新してなさすぎる。

ので、思い立って更新してみただけ。。

 

 

 

今日は終わり。

 

帰省した!

帰省した…!

帰省制限中の今、あんまり大きい声で言っちゃいけないけど 1年半ぶりに帰省した! 

まろに会ったとき、ちょっと泣いた。 一段とおじいちゃんになったまろは 一段と甘えん坊になってた。

お父さんとお母さんに愛されながら 本当に大切に大切にされてた。

自分が社会に出るまで気がつかなかったけど 本当にわたしは恵まれた環境で たくさんの人から大切にされながら 育ってきたんだなって思った。

家庭ってすごく良いものって 両親を見てて本当に思った。 こんなふうになりたい。

今はなんか知らないけど 泣きながら文章を打ってる。 きもちわる。

早くコロナが終息して欲しいね。 おやすみなさい。

朝は暑いし夜は寒い。

また緊急事態宣言だね。 また大型連休前だね。 今回こそは、本当に本当に帰りたかった。

まろに会って、もふもふしたかった。 この間まみぽこに電話したら、電話から聞こえる「まろ〜」の声に反応して、わたしを探してくれてたみたい。

かえりた〜い。 実家が恋しい。

家族と話す仕事の話がとても新鮮だった。 「あなたは仕事楽しそうだね」って言われた時思ったけど、確かに辞めたいと思ったこと、一度もないな。

忙しくて死にかけたことはあるけど、 もうそれだけで幸せ者なのかもしれない。

でも、縁側で麦茶を飲んで 山々を眺めて 嗚呼〜、のどかだねって言い合いながら 後ろを猫や犬が通る、みたいなそんな生活に憧れてる。

都会の真ん中で、きらきらと喧騒に囲まれて 刺激的な日を送るのも魅力的だけどね。

人間、根性があればどんな生き方だって出来るね。海外留学目指して渡米したって、ロックスター目指してバンドしたって、可能性は無限大。

書こうと思っては途中でやめて、の繰り返しで ずっと更新してなかったので、ひさしぶりの更新でした。

おやすみ

残業がすごい月の給与明細

すっごい残業をした月の給与明細見るのとっても楽しみ

なのでわたしは来月が楽しみ。

最近はというと

翌日仕事でも朝まで飲み会、みたいな日が多かった。

すべては誘われれば行くという ふっかる魂が悪い。 もう最近は強いお酒飲むとすぐに頭痛い。 ずっとソフドリ飲んでても許してね。

バンド練も本格化してきて、 家から一歩も出ない日みたいなのが少なくなってきて 平日も夜遅くまで残って働くことが多くなった。

1日も、1週間も、1ヶ月もとてもはやい。 しんどいし、つかれるけど 嫌だなと思うこともないのは 恵まれているなあ〜って感じ

このまま歳とって いろんな節目を迎えて 少し冒険もして 人生を謳歌して死にたいな

今日は終わり

家族の電話で大号泣した話

 

 

20歳超えてから、家族の前で大号泣したことって

たぶんあんまり経験した人いないと思う。

 

 

 

けどわたしは21のときに家族の前で大号泣したことがある。

 

 

 

もう2度としたくない、就活。

 

 

かなり苦しんだ側の就活生だったと思う。

ほんとに。

 

 

3年生の頃、まわりが行ってるから何となく行ってみた1dayのインターンシップに行った経験は何の役にも立たなかったし

 

そもそもやりたいことも明確になかったのに、

3月1日になったら「はい!自由に決めていいよ!あなたはこのたくさんある会社の中から

はい!どこの企業にいきたい?」なんて世間がそういうモードになっても

「えっ…、安定していればどこでもいいですぅ…」

のモードから抜け出せていなかった。

 

し、まあ、どっかしらたぶんすぐ決まるだろ、くらいに思ってた。

 

 

 

本当にこれがなめてた。

 

 

 

そもそも私がどれだけナメてたかと言うと

ESに「(笑)」を付けるくらいなめてた。

 

 

ネタでもボケでもなく、大マジでやってた。

こんな時にボケる人間やばいっしょ〜とか言いたかったけど、逆に大マジでやってたことが恥ずい。

 

 

誰がなんと言おうが必死だったので、(笑)のESが落ちたとき本気で落ち込んだ。

 

ちなみにこれは3月の頃の話で

わたしが(笑)のESを書いている中、

親友も、ゼミの友達も、もう面接に行ってた。

この地点で焦ってはいた。出遅れている感じはずっとあった。

 

 

それからまあなんとなくちゃんとESが書けるようになっても

ESが通ったことは4月中はたぶんなかった。

これに関してはすべて写真館でとったあの証明写真が悪いと思ってる。

1万もかけたのに「こいつ絶対ドラマの悪役じゃん…」みたいな

ドギツイ写真を撮りやがったあの写真館のカメラマンを絶対に忘れない。

どこの会社行っても拾ってくれるならいいやーいとは思いつつも、興味のあった業界はあったんだけど、全部落ちた。

きれいにESが通らなかった。面接は一回もしてない。

 

 

5月にぽろぽろ周りが内定を勝ち取っていく中

やっと面接に一社だけいった気がする。

ピアノ関係だったのに、わたしは面接官に

「趣味はラジオを聴くことなんですね、なぜラジオなんですか?」

と聞かれ、純粋なメガネびいき、バナナムーンに対する愛を語った気がする。

ヘビーめなリスナーであることをただただ晒しただけだった。

今考えれば「そんだけ好きならラジオ局行けよ」と思う。

 

 

6月。

写真を使用しないタイプの履歴書だけ、ボロボロ通るようになった。

事前にブラックと分かってる人材派遣にも、

内定ほしさに受けた記憶がある。

これは本当に本当にあったことなんだけど

人材の最終面接で重役と面接をしたとき

「はい!気に入ったので採用にしちゃう!!」と言われて初めてのその場で内定をゲットした。

不信感の塊である。

 

 

このとき、この会社には別に行きたくなかったし

「なんかやばそうだな。」という雰囲気だけひしひしと伝わった。

当時は内定をもえらて嬉しかったけど

人には言えなかった。もちろん親にも。

こんな会社に行くために大学4年間の学費を親に払ってもらったのか

と思うと、なんか違ったし、悔しかった。

 

 

今度はこのまま他が決まらないと、

あのうさんくさい会社にいかないといけなくなる

という不安から、行けそうな会社にかたっぱしからエントリーをした。

持ち駒のほしさあまりに採用学校で短大を卒業した人も取っている会社に

エントリーをしようとしたときに、

 

母親から着信がきた。

 

 

 

 

「もしもし、最近どう?」

 

という声をきいたときに

(あ、やばいこれ泣くかも)と思ったのおぼえてる。

その後に電話口から父の声で

 

「どうだ、元気にしてるか」

 

が聞こえてきたときにボロボロ泣いた。

 

 

なんかもう、こんな娘でごめんなさいという気持ちと

このまま「いけるかも」と思う会社だけ見つけてっても

一生就活が終われないということも分かってて、

悔しくて情けなくて大号泣した。

 

 

 

 

「むりに東京にとどまらなくてもいい、

そっちで妥協でいくくらいの会社なら、

みんながいる地元に戻ってこい。」と父親に言われて

 

 

 

妥協だな、と思った会社のエントリーは全てキャンセルし

ここなら誇れる、と思った会社にのみ東京ではエントリーをし

そのほかはすべて地元の企業を受けた。

 

 

地元でいくつか内定をゲットしたときに

東京で受ける会社は1,2社しかなかったので

本当に全力出してやれるだけやろう、と

受験勉強期ばりに本気出した気がする。

 

毎日毎日企業研究したし、

ナメてた時期に出してたESの伏線を回収するために

「どういう風に言えばいいかな」と原稿に起こしてみたりした。

まあ、みんなが最初にやってることなんだろうけどね。。

 

 

 

最終的には、一番行きたかったところには

落ちたわけだけど、

 

 

そのあと大逆転があって行けたらいいなって思ってたところの内定ゲットした。

まじで泣いた。

 

 

親に報告したとき、

両親とも地元の企業についてくれると思ってたものだから

二人とも少し悲しそうだったけど、

あのときの二人の電話には本当に本当に感謝してる。

 

 

 

コロナでめちゃくちゃな時期に

電車でリクルートスーツを着ている学生を見ると

本当にがんばれ、という気持ち。

 

 

人生何が起こるかわからないし

何がキッカケで自分に喝が入るかはわからない。

みんなやればできる、月曜からもがんばってこ。

 

 

 

今日はおしまい。

自己肯定感の鬼

最近、生きるのが少し楽しい

一見、悪く見えることが裏を返せばとてもいいことに見えてきた。

これは大成長である。

4月から部署に後輩が入ることについて うわあもう超やだよ〜〜〜 もうやだよ〜〜〜〜〜〜〜

と、心の中ではネタの時のフルポン村上になっていたけど

後輩の前で余裕のある先輩でいたい という気持ちが強すぎて なんかちょっと仕事できるようになった

、 、 、

気がする。

今月はなんと、とうとう医療脱毛に手を出した。 35マン。一括払いはしなかったものの、 お金はかかったものの、 これでワントーンアップした毛穴のない綺麗な肌と処理のいらない世界に出会えると思うと 、 、 、 、 ウキウキが止まんねえよ。

といった感じ。

自粛自粛でどこにいもいけない のが嫌すぎて お散歩だけする会を作った

意外と好評だったんじゃないかな〜 また気が向いたら実施します

今日は終わり。