家族の電話で大号泣した話

 

 

20歳超えてから、家族の前で大号泣したことって

たぶんあんまり経験した人いないと思う。

 

 

 

けどわたしは21のときに家族の前で大号泣したことがある。

 

 

 

もう2度としたくない、就活。

 

 

かなり苦しんだ側の就活生だったと思う。

ほんとに。

 

 

3年生の頃、まわりが行ってるから何となく行ってみた1dayのインターンシップに行った経験は何の役にも立たなかったし

 

そもそもやりたいことも明確になかったのに、

3月1日になったら「はい!自由に決めていいよ!あなたはこのたくさんある会社の中から

はい!どこの企業にいきたい?」なんて世間がそういうモードになっても

「えっ…、安定していればどこでもいいですぅ…」

のモードから抜け出せていなかった。

 

し、まあ、どっかしらたぶんすぐ決まるだろ、くらいに思ってた。

 

 

 

本当にこれがなめてた。

 

 

 

そもそも私がどれだけナメてたかと言うと

ESに「(笑)」を付けるくらいなめてた。

 

 

ネタでもボケでもなく、大マジでやってた。

こんな時にボケる人間やばいっしょ〜とか言いたかったけど、逆に大マジでやってたことが恥ずい。

 

 

誰がなんと言おうが必死だったので、(笑)のESが落ちたとき本気で落ち込んだ。

 

ちなみにこれは3月の頃の話で

わたしが(笑)のESを書いている中、

親友も、ゼミの友達も、もう面接に行ってた。

この地点で焦ってはいた。出遅れている感じはずっとあった。

 

 

それからまあなんとなくちゃんとESが書けるようになっても

ESが通ったことは4月中はたぶんなかった。

これに関してはすべて写真館でとったあの証明写真が悪いと思ってる。

1万もかけたのに「こいつ絶対ドラマの悪役じゃん…」みたいな

ドギツイ写真を撮りやがったあの写真館のカメラマンを絶対に忘れない。

どこの会社行っても拾ってくれるならいいやーいとは思いつつも、興味のあった業界はあったんだけど、全部落ちた。

きれいにESが通らなかった。面接は一回もしてない。

 

 

5月にぽろぽろ周りが内定を勝ち取っていく中

やっと面接に一社だけいった気がする。

ピアノ関係だったのに、わたしは面接官に

「趣味はラジオを聴くことなんですね、なぜラジオなんですか?」

と聞かれ、純粋なメガネびいき、バナナムーンに対する愛を語った気がする。

ヘビーめなリスナーであることをただただ晒しただけだった。

今考えれば「そんだけ好きならラジオ局行けよ」と思う。

 

 

6月。

写真を使用しないタイプの履歴書だけ、ボロボロ通るようになった。

事前にブラックと分かってる人材派遣にも、

内定ほしさに受けた記憶がある。

これは本当に本当にあったことなんだけど

人材の最終面接で重役と面接をしたとき

「はい!気に入ったので採用にしちゃう!!」と言われて初めてのその場で内定をゲットした。

不信感の塊である。

 

 

このとき、この会社には別に行きたくなかったし

「なんかやばそうだな。」という雰囲気だけひしひしと伝わった。

当時は内定をもえらて嬉しかったけど

人には言えなかった。もちろん親にも。

こんな会社に行くために大学4年間の学費を親に払ってもらったのか

と思うと、なんか違ったし、悔しかった。

 

 

今度はこのまま他が決まらないと、

あのうさんくさい会社にいかないといけなくなる

という不安から、行けそうな会社にかたっぱしからエントリーをした。

持ち駒のほしさあまりに採用学校で短大を卒業した人も取っている会社に

エントリーをしようとしたときに、

 

母親から着信がきた。

 

 

 

 

「もしもし、最近どう?」

 

という声をきいたときに

(あ、やばいこれ泣くかも)と思ったのおぼえてる。

その後に電話口から父の声で

 

「どうだ、元気にしてるか」

 

が聞こえてきたときにボロボロ泣いた。

 

 

なんかもう、こんな娘でごめんなさいという気持ちと

このまま「いけるかも」と思う会社だけ見つけてっても

一生就活が終われないということも分かってて、

悔しくて情けなくて大号泣した。

 

 

 

 

「むりに東京にとどまらなくてもいい、

そっちで妥協でいくくらいの会社なら、

みんながいる地元に戻ってこい。」と父親に言われて

 

 

 

妥協だな、と思った会社のエントリーは全てキャンセルし

ここなら誇れる、と思った会社にのみ東京ではエントリーをし

そのほかはすべて地元の企業を受けた。

 

 

地元でいくつか内定をゲットしたときに

東京で受ける会社は1,2社しかなかったので

本当に全力出してやれるだけやろう、と

受験勉強期ばりに本気出した気がする。

 

毎日毎日企業研究したし、

ナメてた時期に出してたESの伏線を回収するために

「どういう風に言えばいいかな」と原稿に起こしてみたりした。

まあ、みんなが最初にやってることなんだろうけどね。。

 

 

 

最終的には、一番行きたかったところには

落ちたわけだけど、

 

 

そのあと大逆転があって行けたらいいなって思ってたところの内定ゲットした。

まじで泣いた。

 

 

親に報告したとき、

両親とも地元の企業についてくれると思ってたものだから

二人とも少し悲しそうだったけど、

あのときの二人の電話には本当に本当に感謝してる。

 

 

 

コロナでめちゃくちゃな時期に

電車でリクルートスーツを着ている学生を見ると

本当にがんばれ、という気持ち。

 

 

人生何が起こるかわからないし

何がキッカケで自分に喝が入るかはわからない。

みんなやればできる、月曜からもがんばってこ。

 

 

 

今日はおしまい。